子どもがサバイバルするということ…

昨年7月の初め、息子(10)が、学校で休み時間中に負傷した。
息子は、今はとても元気に登校している。

警察が「これは、事故ではない事件です」というし、
未解決で、相手もあることなので詳細は省く。

今思えば、事件が起こる予兆のようなものが無かった訳ではない。
でも、流れ弾に当たったかのような突然の災難だった。

何でこんなことになっちゃったんだろう?
考えあぐねるうち、ふと、頭に浮かんだ。

「あれ、言霊、使っちゃったかな…?」

目の前に広がる世界を
「子どもたちがサバイバルするもの」と定義したから、
うちの息子、死にかけちゃったんかな?
アタシのせいかな?

「こどもサバイバルくらぶ」とか言って、
息子死にかけちゃ洒落になんないな…。

考えすぎだと思ったけれど、
元々、不定期更新のダラダラブログではあったけれど、
そういうわけで止めちゃおうかな、と考えていた。

やっぱりサバイバル

今回、沢山の人に出会い、助けられて、励まされているうちに、

生かされている感謝を持ちつつも、
自分が主体的にサバイバルする意思を持つことや、
生きる延びることに執着することも、
とても大事だとあらためて感じるようになった。

息子の件を機に、全国で子ども達が想像以上の
リアルサバイバルゲームの中にいる事実も知ってしまった。

文科省の発表(昨年9月)でも「小学生の暴力が4年連続増加で過去最多」と発表されている。
恥ずかしながら自分の子どもが被害者になるまでは、近隣小学校や身近に多くの被害者がいることすら知らなかった。

様々な場面で、警察の少年課の警官、スクールカウンセラー、病院の医師、教育のプロフェッショナル、
友人知人から沢山の温かい励ましやアドバイスをもらった。
息子や私たち家族のために祈ってくれた人もたくさんいた。

面識の無かった人たちまでもが、
何処かから現れて、沢山助けてくれた。
有難い…の一言。

そして、私が怒ったり、恨んだりする感情を持つ前に
多くの人が、大いに怒り、嘆き、悲しみ、祈り、動いてくれた。
正直、自分以上に怒り悲しんでくれる人を前に、自ら怒る必要がなかった。

そのおかげで、
息子が殺されかけるという非常事態を経験してなお、
怒りや恨みといった感情に乗っ取られることなく、
この試練を様々な仕事や活動を通していつか多くの子どもに
役に立つ形に変えようと、自分を俯瞰して生活できた。

勿論、これは息子の命があったからこそで、
自力でサバイバルした息子のおかげでもあるのだが。

いつか

今回の件を機に、小・中学校や家庭、現代の子ども達を取り巻く様々な問題が目の前に
溢れてきて、正直カオスだ。
でも、多くの人たちに助けられた感謝を、いずれ子ども達の世界に還元したいと思う。

その為にも、当面は、
目の前にいる子ども達に真っすぐ向かい合おうとあらためて考えている。

というわけで、カオス頭のまま、
とりとめないエントリーを続けることとした。

誰かの役に立つかもしれないし、
誰の役にも立たないかもしれないのだけれど。

感謝を込めて。