子どもが疲れていたら、頼られ過ぎも疑う

「娘ちゃんを遅れてる子の担当にしてるから算数の日に休まれて本当に困りました〜」

「いつもモメる子たちの間に置くと
息子くんが我慢してくれるから緩衝材で、本当に助かります」

過去に、笑顔の先生方から頂いたお褒めの言葉…。

度が過ぎることもあり、
時に「?」と思うこともあったが、
人を教えるのも勉強になるし、
緩衝材になるのも経験だし、
と自分にも子どもにも説明してきた。

しかし、時に子どももパンクする。
子どもが何だか疲れていたら、
家庭で、保育園で、学校で、
役割分担が
過剰ではないかを考えよう。
子どもは自分で環境を変えられないことも多いもんね。

頼ると甘えるの境

4,3,0歳抱えの怒涛の保育園時代、
長女に下の子の世話を手伝わせ
しのいできたからよくわかる。
子どもを便利に使っちゃう気持ち。

結果的に、それが教育効果ある場合もあり、
使う側のエクスキューズになるし、
教室だって家庭だって、猫の手も借りたい状況というのは度々ある。

役割を与えて成長させる、と
都合よく便利に使う、の境目は非常に曖昧になりがちだ。
両方の境を行ったり来たりすることだってある。多くの場合、大人の側は余裕がなくて無意識だ。

自分への負荷のかけ方だって難しい。
他人、特に子どもへの負荷のかけ方が適切なのか?頭の片隅に意識しておく必要は、ある。

意識したって思い通りになんかならないけど、無意識よりはマシだろうからね。

疲弊の連鎖

今の娘の担任が、娘を「便利に使う」ことをしない先生なので
自分も「頼る」と「甘える」の境について強く意識するようになった。

意識したからって、
ダメ母がいきなりちゃんと出来ないし、必ずしも甘えるのがいけないわけじゃないと思うけどね。

頼られ過ぎを越えて、使われちゃう状況に陥らない力と、そこから逃れる力というのは、実は大人に必要な力かもしれない。

大人が疲れない仕組みの中でなら、子どもは疲弊しないんじゃないか、、

などと考えながら
肩トントン、腰トントンする母である。