プレゼントもらい放題

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息子(6)は、寝る前に「自分は何の為に生まれてきたんだろう?」と繰り返し問う。
日中、ひたすらコマ回しに励み、ポケモンの名前ばかりつぶやき、
母の小言を華麗にスルーして、家中を駆けずり回っているのだが、寝る前はなんだかいつも哲学者なのだ…。

今までに、
「お空で見ていて、うちが楽しそうだから生まれてきたんじゃなーい」とか、
「生れて来てくれただけで、大手柄だよ。」
「何のためかな~?って考えるためかなぁ?」
とか、母は母なりに、無い知恵しぼって答えてきました。

で、先日、内田樹さんの「人間の価値は何を成し遂げたかではなく、何を贈ったかによって考量される」という
贈与論に触れ、
何かと周りの人に有形無形のプレゼントをするのが好きな息子には、これがわかりやすいかなと
「誰かに何か贈り物するためかもね~」という最新の答えを用意して、次回の問いに備えてたんだよね。

そんなこんなしてたとこ、山上亮さんの雑念する「からだ」覗いていて、頭かつーん。されちゃった。

(以下引用)
昔は子どもは周囲の大人たちから「子ども扱い」され、ただ贈与のおこぼれをもらうだけで何も身銭を切らなくていい、という立ち位置を与えられていた。
「身銭を切るのは大人の役割である」という価値観が、大人たちの間で共有されていた。
子どもはただひたすらに「与えられる存在」だった。
(引用以上)

という古来からの子どもの在り方に触れ、贈られることを全うすることの重要さを説いてるんだけど、
はー、母さん、自分の生き方模索中のあまり、自分と同じコンパスで息子に答えさしだそうとしてたことに気付いたよ。
子どもである、息子たちは、今まさに「被贈与者」時代を全うする時期なんだよね。

今度、息子に「自分は、何の為に生まれてきたのか?」と尋ねられたら
赤ずきんちゃんに出てくる狼みたいな感じで、
『それはな・・・お前が、世界中からいろいろプレゼントされるためさ』
と凄んで、うりうりしてやろうと思う。