「やれたかも委員会」 やれたかも、はいつでも宝?

マンガをWEB上で発表し、拡散

新しいマンガの製作・売り方を開拓したと話題の

『やれたかも委員会』を読んだ。

次々と登場する男性が

女性とやれたかもしれない(と思って引きずっている)甘酸っぱい過去の出来事を語り、

それを委員の三人が「やれた」「やれたとは言えない」という札をあげて、判定する。

男性の「やれたかも」という妄想を

女性委員がばっさり切り捨てるところが痛快で

過去の妄想を肯定してあげる

委員にも愛がある。

私は自分が女だからか

「やれたかも」はないけど

ぼけーっとしている若い時分には「やれたかも」と

思われてたかもな、と思いながら読んだ。

娘を持つ身としては

ほんの少しの隙があるだけで

「やれるかも」と思われちゃう現実に

気付かされる恐ろしい本でもある。

とりあえず宝

男女関係に関わらず、仕事や友達、日常の様々にある

「やれたかもしれない」過去は

反省材料や後悔になりがちだ。

やれたかも委員会が

「やれたかもしれない夜」は人生の宝です

後生大切になさってください。

というように

仕事の「やれたかもしれない」も人生の宝

育児の「やれたかもしれない」も人生の宝

と認定する

っていうのは、ありかもしれない。

男性陣からは

お前の「やれたかも」の後悔なんか

「やれたかもしれない夜」と違って

切なさも甘酸っぱさもないんだよ、

と反論されそうな気もするけど

何かと後悔しがちな自分。

このセリフは勝手に使いたいと思う(笑)