費やした時間の多さが炙り出す自分

軽く自分史を振り返る機会があった。

随分前にも振り返りの機会があったが、それから6年くらい経っている。

自分が費やした時間の多さが炙り出す自分の姿と、自分が認識している自分にギャップがあって軽く衝撃を受けた。

子どもたちの日々の過ごし方を観察していても、多くの時間を割く事は、皆それぞれ違う。

親の思惑に関係なく現れる個性。

子どもらが多くの時間をかけた事を強みや、弱みにするのを目の当たりにしながら、ハテ自分はどうなのよ?この自分で行くのか?と自問自答する子どもの日である。

子どもの日なのに、子どものの事じゃなくて自分の事を考えているところが何とも自分。

多くの時間を費やしたということは、蓄積されたものがある、ということでもあるけれど、、

多くの時間を割く価値のあること、再考のタイミングかもしれないな。

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