真面目は子どもが連れてくる

休日出勤の後、だら〜んとしながら

見逃したラグビー日本戦のニュースを待つ母のところに次女(小5)が国語のテキスト片手にうろうろ。

何?と訊くと

「泣いちゃう話なんだけど〜」と言って

音読しだした。

戦争が子どもたちの普通の生活や命を奪っていく様子を淡々と描いた作品「傘の舞った日」(山田花菜)。

読んだ時に色々感じることがあって、シェアしたくなったらしい。

親になった私は、

登場人物の親の無念さを思って涙が出た。

感想をこちらから訊かない主義なので

「涙出ちゃうね」とだけ言って

娘とは何にも話しをしなかったけれど、

「平和」というものについて、少し真面目に考えた。

ラグビーのニュースとその後の『ブラタモリ』の比叡山を見て、食卓に戻ると

何の話からか息子(中2)と

「神」というのは何を指すのかという話になった。

あらゆる宗教の元となる「神」っていうのは

エネルギーの事じゃないかなどという、、、話。

比叡山が六大宗派の開祖を輩出した、ことと

世界でさまざまな宗教が生まれたこととの共通点はあるのか、とか、、。

答えのない「神」とは何か?問題。

真面目か!

というツッコミの入りそうで入り込む余地ない「真面目」な問いを

こうやって、子どもたちが運んで来る。

仕事や日々の生活に追われて、近視眼的になっていて、余裕のないことにすら気づかない母。

そういう自分のところに、

子どもたちがいつも「真面目」な問いを運んで来て、強制的に近視眼的メガネから鳥の目メガネにチェンジさせて行く。

「平和」とは、とか

「神」とは、などという問いを

バタバタした日常の中でも持てるのは

子どもが真面目な問いを連れてくるからだ。

朝早くから弁当作って、洗濯しても

簡単に逆ギレする思春期反抗期の子どもらからの

反抗と真面目、はセットでプレゼントなのかもしれない。