すきにならんで、いいんだよ。
「すきすきすきすき♪ すきっすき~♪愛してる♪
すきすきすきすき♪ 一休さん~♪」
泣き叫ぶ子を保育士の先生に引っぺがしてもらい、後ろ髪引かれながら出社すると
「ゼロ歳から預けて可哀想だよね~ろくな子にならないよ」と追い打ちをかける同僚のオジ様がいた頃のこと。
毎日、顔を合わせるのが苦痛すぎて、それを何とかしなくちゃと、
駅から会社のドアまでいつも一休さんの主題歌の「一休さん」を「〇〇さん」とそのオジの名前をいれて歌いながら、出社していたことがあった。
色々試した中で、それが一番あほらしくて、その時のわたしには効果的だった。
歌ってるうちに、良い知恵が浮かんで、なんとかなる気がしたんだよね。何より、なんだか一休さんを歌いながら小走りな自分が、あほらしくて笑えてくるのがよかった。
でも、今思い返すと、ちょっとお気の毒なわたし、おつかれ!(笑)
(みんなをすきに)
この間、
その頃のノートから、金子みすゞの詩の一篇が出てきた。
「みんなを好きに」というその詩。
みんなを好きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。
葱もトマトもおさかなも、
残らず好きになりたいな。
(以下略)
…というその詩は、この世界のものは皆、神様がお作りになったもの、だから
すきになりたいな、という詩だ。
(みんなちがって)
おなじ作家の詩に、「わたしと小鳥とすずと」があり、教科書にも採録されている。NHKの「にほんごであそぼ」でも何年も歌われ続けているから、聴いたことある人も多いだろう。
こちらは、
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
という、それぞれ違って、それでいいよね、という詩。
で、今更だけどさー、
みんな違って、みんないい。
けど、
みんなを好きにはならなくていいんだよねー。
金子みすゞが、病を得て子どもを守る為とはいえ、自死を選んだことに思いを馳せながら、
昔の自分にも、みすゞさんにも、
そういってあげたいような気がした。
(違って、いいだけで)
保育園とは違い、小学校へ入ると色々な子がいて、色々な先生もいて、子どもは自分で何とかしなきゃならない。
中学だって、高校だって、会社だって、フリーランスだって同じだ。
先生は、
『みんなと仲良くしなさい』と言わなきゃいけない立場
だもの、しかたない。
だから、
親は、
みんな違って みんないい。
だけど、べつに
みぃんなをすきに、ならんでいいよー。
みんな違って、みんないいねー。と思えば、
そこまででオッケーさ、ってね、
言っちゃっていいんじゃないか。
それが、
みんな、ちがっても、生き生き生きる、生きのびるための知恵。
っていう気がする。