飢餓感にノー

small_46502253
photo credit: Lollie-Pop via photopin cc

スーパーの入口で、壁に向かって駄菓子をむさぼり食う女の子。
本人は、隠れているつもりだったのだろう。
同じ小学校の友達だった。
少し薄暗くなった夕方、壁に向かって、背中を丸めて、駄菓子をがっつく姿。
30年以上もたつのに、その友達の姿をはっきり記憶している。
どこか、人間離れした、野生に近い動物のような空気をまとっていた。
見てはいけないものを、見てしまった…と、幼心に感じた。

(飢え)
ダメ、と言われたら欲しくなる。
禁止、と言われたらやってみたくなる。
子どもだけじゃない、大人だって、
ダイエットしなくちゃ、という時は、甘いものが食べたくなる。
同じだよね。
飢餓感、が大事な時もあるけれど。
ゲーム絶対禁止の家の子が、友達の家でみんなの遊びの輪に入らず、ゲームをし続けていたり、
買い食い禁止の家の子が、親のお金をそっと持ち出し、友達と買い食いしたり、
お菓子禁止の家の子が、よその家のおやつをポケットいっぱい持ち帰ったり。
そんなことを、見たり、聴いたりすることも多い。

(あえてあたえる)
見せたくないもの、触れさせたくないものを、見えるところに置かないことは、大切だ。
2歳児や3歳児は、目の前に別の玩具を与えれば、そちらに興味をもってくれる。
でも、だんだん大きくなってきた時、
ただ禁止する、ただ目の前から隠す方が、簡単でも、
あえて与える、あえて隠さない努力も時には必要なのだと感じている。
いつまでも、親が禁止し、隠してあげられるわけではないから。
大人でも難しい、この「やりたいこと」を制限すること、
例えば、
ゲームなら、やり続けたくても時間になったら止める、という感覚を、
友達が一緒にやれないなら、やりたくてもやらないという選択肢を選ぶ、ということを
ひとつひとつ、忍耐強く経験していくチャンスがある。
駄菓子もOK、健康的な美味しいお菓子もOK、
いつだって選べるなら、いつの間にか、やっぱり身体が美味しい方を選択していくようになるだろう。
ただ禁止する、という楽な道と違い、
禁止しないで、見守る、というのは、親や保育者には面倒くさい道なのだけれど。

(れんけい)
隠れて駄菓子をむさぼり食っていた女の子の
お母さんは、オーガニックに凝っていて、お菓子は全て手作りだった。
家には『頭のよい子になるお話』とか『優しい心の子になるお話』というタイトルの名作全集がずらっと並んでいた。
お母さんは、本当に一生懸命だったんだろうな。
親になった今は、彼女の母親の痛々しい程の熱心さと、それにかけた時間や労力が、リアルに想像できて切ない。
親というのは、誰でも、『子どもに良かれと思って…』の罠に嵌る危険性をはらんだ存在なのだと思う。
自分の子どもを、客観的に見られる親なんていないから。
そんな切ない存在であることを認めながら、
いらない飢餓感にノー、という為には
多分、
まずは、親が飢えないことが、渇かないことが必要なのだろうなという気がしている。
さぁ、まずは
自分の鉢に、水をやろうか。
アルコールでもいいけどね。
え・・・?
それは禁止….?