スピリチュアル教育が必要な時代へ
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部屋の天井近くでブランコをこぐ女の子を、沖縄の離島から連れてきちゃったのは、確か10年くらい前のことだ。
地元の人だけの非常に重要な祭に民俗調査に入った時のこと。
地元の民俗学大家のご引率とはいえ、無防備に御嶽などをまわった自分が調査者として未熟だったのだけど、
あの時は、ちょっと参った。
結局、祭で分けてもらったものを、近所の神社に納めたら、女の子はどこかに消えてくれたのだけど。
〈スピせっけん〉
霊的に敏感な家系ではない私は、そうした経験を多くはしていない、けれど、巫女的な家系の人たちは、そうした経験を日常的にしているという。
民俗学に隣接する分野を、研究していたこともあって、そんな方々にも随分お会いした。
かつて、このような「スピリチュアル」と呼ばれる部類の体験や話は、誰にとっても自然への畏怖などと共に日常的にあった。
しかし、今、少し様子が異なる「スピリチュアル」が、世の中を席巻している。
放送中のNHKの朝の連続ドラマでは、普通の人には見えない、人間の本性の顔が見えてしまう男の子が準主役だ。
毎朝、「他の人には見えない顔が見える!」というストーリーがお茶の間に流れるのを知って、スピリチュアルブームの流れが、とうとうここまで来たのか、と思った。
今は、占いも花盛り。私も、占いは嫌いじゃない。
でも、血眼になって連日パワースポット巡りしたり、占いに日々の生活や重要な判断を委ねる人が増加しているのを見たり、聞いたりするにつれ、ちょっとした危機感を感じる。
実際、「スピリチュアルトラブル」なる言葉まで出てきた。多くの実害が出て、社会現象化しはじめているのだ。
〈みえないなにか〉
わたしは、見えない何かを、否定しない派だ。
見えない、サンタクロースだって、小人だって、
見えない、優しさや、勇気や、
遠く離れた知人への祈りの力、
母親の手から出る、子どもを癒す力だって。
でも、
たぶん、これからは子どもらにも
ITリテラシー教育が必要なように、
スピリチュアルリテラシー教育が必要な時代なのだろうな、と感じている。
特に、宗教的な話にふれる機会の少ないこの国では。
で、最近、出会ったマンガに、
どこかの有名な神社やパワースポットだけじゃなくて、
例えば、近所のお気に入りの公園のベンチ、でも
自分の心地いい場所、それがパワースポットなのだ、というようなことが書いてあって、
そうだよ!
そういうことを教えるのが大事!
と思った。
結局のところ、子どもを精神的な安全地帯の中で育て、
自らの力で、居心地良さを獲得する術を持たせるしかないのかもしれない。
この、言うは易く行うが難き、現代スピリチュアル教育…。
うむむ…時代のうねりの中で、母の考察はつづく…。
しかし、
おいおい、その間とりあえず、
学校で「こっくりさん」やるのやめといてくれ!子ども!