安易な脅しの後遺症

photo credit: Ella's Dad via photopin cc

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「トロルがいるから、保育園に行きたくない…」
保育士の先生が、散歩で行く公園の池にトロルがいる、と言いつづけた為に
それを恐れた息子が、毎朝、登園拒否していたことがあった。
「なぁーに言ってんの!
 ママは、ノルウェーまで行って探したけど、トロルいなかったよ!
『三匹のやぎのがらがらどん』がトロルをやっつけたから、トロルはいないんだよ!」
と繰り返し答え、トロルがやぎに木端微塵にされる場面に力を込めて、何度も絵本を読み聞かせるうちに息子も「そうだよね、木端微塵になったトロルが公園にいるはずないよね。」と納得したのだった。
やれやれ・・・だよ。

本は閉じた世界。そこに広がる昔ばなしの世界も、ファンタジーとして閉じられた世界で、子どもの生きる現実世界とはきっちりとした境界があるのだ。
その閉じた世界での、怖い体験もその中できっちり解決し、子どもは安心して自分の生きる現実世界へと戻ってくる。
それを、大人の勝手な都合で、閉じられた世界にあるものを引っ張り出し、子どもの生活に持ち込むから、おかしなことになる。
誰もが、言うことをきかない子どもを脅したことがあるだろう。
私だって、ある。
今は全く効果ないけれど、「寝ない子のところには、おばけ来るから早く寝ろ~」と言っていたし、
「野菜食べないで、肉ばっかり食べてたら、牛になるど!牛人間モーー!」と言ってるしね。
けれど、子どもが大人の何倍もの感受性で、その脅しを受け止めていることを
常に肝に銘じたい。
最近、流行している絵本『地獄』を、子どもに言う事きかせる為に使っている保育園があると聞いて、憤りを感じていたが、
娘の園にもあることを知って、何だか脱力している・・・。

地獄絵図は、元々、寺という生死を扱う限定的な場で、生死を語れる住職が、極楽とセットで使っていたのだ。
それが、保育室や家庭という、子どもにとって安全地帯であるべき場所に持ち込まれている。
子どもには非常に「効く」とどこかの保育士が言うのが全国放送で流れていた、と聞き気が遠くなる。
即効性があることが、時に静かに身体の奥で後遺症を残すことを、私たちは強い薬の治療によって知っている。
わたしは、親や保育者が、楽に楽しく幸せに育児や保育をすることが、子どもの幸福につながると信ずる者だ。
けれど、その楽さ、と引き換えにしているものがないか、あるとしたらそれは引き換えにしてよいのか、
考える必要がある。
我々大人は、社会で生き延び、子ども達を守る為に、鈍感になる必要があるのかもしれない。
けれどだからこそ、
自らの鈍になった感性を否定することはせずとも、子ども達が大人の何倍も繊細な感受性で、この世界を受け止めていることを忘れずにいたい。
せっかく、様々な出来事を生き抜いて、鈍になった感性をこそ、今まだ柔らかくいる感性を守るために使いたい。
それにね…
もしかすると、地獄と極楽の狭間で問われる問いは、
「あなたは、生きている間に、子どもの感性を守る努力をしましたか?」かもしれないよね…。
自信ないよ、私。
あ、あなたも?
まだ、生きてるから、間に合うよね。多分・・・。