ジョハリの窓辺のひとりごつ
久しぶりにテレビをつけたら
秋元康さんが
自分も
みんなも
自分が知らない自分の可能性を
引き出されるのを、待望している
という趣旨のことを言っていた。
秋元さんほどの人も
まだ知らない新しい自分を
探し求めてるのか
と意外だった。
ジョハリの窓、が思い出され
シゴタノの大橋さんの
どんなに詳しく記録に残しても、時間とともにその“魂”は抜け落ちていく
というエントリーを
思わず読み返した。
多分
秋元さんは
自分も知らない
他人も知らない
誰も知らない閉ざされた「私」
の扉を開きたいと
思ってるんだろうな
という気がした。
子どもたちを見ていると
誰も知らない閉ざされた「私」
として生まれ落ち
みんなが知ってる開かれた「私」
として幼少期を送り
人には言えない秘められた「私」や
自分だけが知らない気づかない「私」を
獲得していっているように
見える。
秋元さんの話を聞いて
人は
最終的に
閉ざされた「私」に還って
いくのかな、という気がした。