子どもにどんなプレシャーかけて勉強させているの?
最近立て続けに、「子どもにどうやって勉強させているのか」と訊ねられた。
その中に「子どもにどんなプレッシャーかければ勉強するのか?」という意の質問をする人が何人かあった。
別のコミュニティでは
夫の帰りが遅い時、夫の部屋の電気を付けておくとか、スリッパは玄関に揃えておくとか、自分が先に寝ても家を「おかえり」モードにする、という話に
「亭主関白!プレッシャー凄いんだね」と言う人たちがあった。
子どもの帰宅時も自分が留守なら同じく、家が「おかえり」モードで迎えるようにしているのだが・・・。
今日、子どもを怖がらせ、萎縮させる教育法を必要悪と語る保育士Tweetが拡散されているのを目にした。
そういえば、「どんなプレッシャー?」と訊ねた人たちの中には、圧力で動かされてきた経験を持つという人達がいた。
もしかすると、人は圧力がないと動かない、という思い込みのようなものがあるのかもしれない。
自分がまだ帰宅していない家族の通り道を整えるのは、外から帰ってくる者の動線を作るのが自分にとって自然だからだ。
子どもが勝手に勉強するのも、彼らの興味や気持ちの動線を心地よいように作れている時だ。
共に伝承文学調査に行った民俗学周辺に明るい仲間や、いわゆるスピリチュアル系と言われる友人達は
皆、たぶん同じように感じ、同じように動いている。
お盆やお彼岸の習慣がまだ残っている日本。
彼岸の者を迎えたり、送ったりする時の動線の作り方と似た感じといえば伝わりやすいだろうか。
彼岸でも此岸でも、外部の圧力で動くと気の流れが滞って動線がおかしくなってダメよ〜、っていう昔話あったような、、、。
不勉強すぎて思い出せない。
というわけで、大事にするのは「気」の流れに沿った動線、という。
恐怖などを使ったプレッシャーじゃなくてね。
大人とか親なんて、簡単に圧力かけがちだから
わたくしも手のひらに油性ペンで書いてます。
「動線」