もう、出会ってるじゃないか・・・

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photo credit: karen horton via photo pin cc

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生れてきたー
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか 
あえるのは いつなのか―

・・・・・・
・・・・・・
PTAの仕事や行事の後、ダッシュで下の子のお迎えに行き、
帰宅早々から、仕事山にずぶずぶ埋もれていた私。
両方がんばろうとするのは、結構しんどいぜ・・・
PCに向かって、鬼の形相の母の横で、
突然、娘(7)が「くどうなおこ詩集」を声に出して読み始めた。
はじめは、音読の宿題かと思ったけれど、
どうやら本棚の片隅に見つけたのを引っ張りだしてきた様子だった。
まだ、自分が、十代だったころ、
手帳にはさんで持っていた、くどうなおこさんの「あいたくて」という詩。
何かに出会わなきゃいけない気がするのに、
それが何なのか、どこへ行ったらいいのか、
途方にくれていた自分に あまりにぴったりで ずーっと持っていた一片の詩。
すっかり忘れていた。

(忘れた頃に…)
そういえば、
娘(7)が生れた時、
その小さな手がしっかり握りしめられているのを見て
ここに、「みえないことづけ」があるのだな
と思った記憶がある。
幼少期から、可愛い妹と比較され積もった「可愛くない私」コンプレックスを払拭するために、
モテたかった高校生の私は、伝説のモテ女だった伯母に
「どうしたら、モテるの?」と訊ねたことがある。
「モテようと思わなくなった時に、勝手にモテんのよ。ふふふふ。」
と言って伯母は笑っていた。
あぁ、あれと一緒なのかもしれない
「会いたい 会いたい」
と言いつづけなくなった時、ふと
会いたいものに会えるのかもね。
「会いたい」と言いつづけて、もがきつづけた時間があったうえで、のお話だけど。
なーんてことを、
目の前でえくぼ全開、小さな詩集の小さな文字に目を凝らして
たどたどしく読む
娘を前にして思った。

(メッセンジャー)
こうして、いつも何かのメッセージを運んでくるのは、
目の前の子どもたち。
子どもは 周りの大人たちにとって いつも メッセンジャー。
そして、多分
我々、元 子どもも 気付かないだけで 
きっと誰かの メッセンジャー なのだ。
だから・・・
・・・・・・

手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ